亀戸天神社

墨田区の亀戸天神社に参拝してきました。
この神社は職場の近くだったということもあり、秋葉原に引っ越す迄は何度か初詣に来ていた神社です。

亀戸天神は江戸時代の1646年に太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐が天神信仰を広める為に関東にやって来て、本所亀戸村に元々あった祠に天神像を祀ったのか始まり。徳川家綱が社地を寄進した。

祭神は天満大神(菅原道真)と天菩日命(アメノホヒ)。

菅原道真は9世紀から10世紀初めにかけての政治家。宇多天皇、醍醐天皇の治世に大出世して右大臣に。しかし、左大臣の藤原時平に嵌められ昌泰の変で大宰府に左遷(子供も流刑)しそのまま太宰府で死去。
6年後、藤原時平が39歳で早逝。平安京で天変地異が多発。疫病、日照り、東宮だった保明親王やその娘や孫である慶頼王の死去、清涼殿に雷が落ちて昌泰の変に関わった藤原清貫の死亡。更に醍醐天皇も体調を崩してその3ヶ月後に崩御。
余程恐れられたのかこれで菅原道真の怨霊が雷の神である天神になったと考えられた。
怨霊を鎮めるために贈った神号が「天満大自在天神」(そらみつだいじざいてんじん)。天満宮などの「天満」の由来。

藤原時平の死亡は時期的に祟りだと考えられても不思議はないと思うが、清涼殿落雷事件や醍醐天皇崩御は道真の死後27年後。そこまで引きずらなくてもと思うが実際のところもっとずっと長く恐れられた。
平将門が処刑されたのは清涼殿落雷事件の10年後。将門の怨霊とも被るよねと思うが将門が恐れられたのはなぜか近代になってから。
ちなみに、日本3大怨霊はこの菅原道真(845-903)と平将門(?-940)、崇徳天皇(1119-1164)。

建速須佐之男命(スサノヲ)が天照大神(アマテラス)が治める高天原へ昇った時にアマテラスはスサノヲが高天原を奪いに来たと思い武装して出迎えた。
スサノヲは邪心が無いことを証明するために誓約(うけひ)を提案。アマテラスはスサノヲの所有物である「十拳(とつか)の剣」を3つに折りそこから3柱の女神を生んだ。
スサノヲはアマテラスの所有物である「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を噛み砕き5柱の男神を生んだ。
その理屈は現在では全く理解できないことだがこれでスサノヲに邪心が無いことが証明される。
アメノホヒはその5柱の男神の1柱。菅原家の祖神とされる。
スサノヲはせっかく邪心が無いことが証明されたのに何故か乱暴狼藉の数々。怒ったアマテラスが天岩戸に隠れる話につながる。

今回は富岡八幡宮を参拝した後、亀戸天神へ。
「富岡一丁目」バス停から都バス 都07 門前仲町⇔錦糸町駅前(境川経由)に乗って「亀戸一丁目」で下車、横十間川沿いを北上して蔵前橋通りを右折してすぐ。
門前仲町を通り錦糸町に行くバスは複数のルートがあり、境川経由は遠回りルートなので時間がかかるがほんの少しだけ歩く距離が短い。殆ど誰も富岡八幡宮⇔亀戸天神は移動しないでしょうが。
普通に行く場合、鉄道だと東京メトロ半蔵門線・JR総武線の錦糸町駅か亀戸駅で下車、どちらの駅からも中途半端に遠いが亀戸駅の方が少しだけ近い。

赤線は門前仲町⇔錦糸町駅前(境川経由)のバス路線。ピンク線は門前仲町を通る他の錦糸町行きのバス路線。緑線は亀戸駅、錦糸町駅、亀戸一丁目バス停からの徒歩ルート。

亀戸天神社 1
正面の大鳥居。その奥に太鼓橋と本殿の屋根が見える。

亀戸天神社 2
太鼓橋(男橋)と心字池が見える。池に3つの橋をかけた参道は太宰府天満宮に倣った造りとなっている。ただし、太宰府の縮小版。

亀戸天神社 3
太鼓橋(男橋)の上から撮影。藤棚や弁天社周囲の木々で見えにくいが手前に平橋、奥に太鼓橋(女橋)ある。

亀戸天神社 4
本殿前。人が少ないが外人は居る(写ってはいない)。神社の外人率高い。

亀戸天神社 5
もう終わりの時期だと思いますがまだ菊まつりだった。左の花のタワーは中央に写っているスカイツリーを模した作品。もう少し左に向けて花のタワーを中心に寄せたかったのだがこの写真の左辺りでクソガキ‥お子様がずっとはっちゃけてらしたので残念。

亀戸天神社 6
大鳥居の近くに筆塚がある。使った筆、書いた書などを供えて書道の上達を祈る筆塚祭は毎年7月25日らしい。いい年して自分でも読めないミミズ字なので関係無いですが。

亀戸天神社 御朱印
御朱印。菊まつりなのでその印も押してあった。

亀戸天神の梅まつりは2月、藤まつりは4月。菊まつりは一応10月。


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