横山城跡

横山城は石田三成の供養塔から東北東に約1kmにある山の上の城。もしかすると三成の子供時代の遊び場の一つだったかもしれない場所。
以前から戦略的拠点で城の原型はあったみたいだけど、六角氏を相手にする為に浅井長政が横山城を作った(整備した)のが1561年(三成が1歳のとき)。それが1570年の姉川の戦いの後に信長を相手にすることに。で、信長に奪われて秀吉の管理下に。その後、秀吉は長浜城を建てて横山城は廃城(1573年頃=三成13歳頃)。この城は12年前後しか使われなかったということね。

横山城跡への登山道は幾つかあるらしいけど、今回は観音寺を見たかったということもあって観音寺から登ることに。
ちなみに伊富貴山観音寺(大原観音寺)は近江西国三十三箇所12番の札所。信長関連で観音寺城の戦い(1568年)というのがあるけど、それは安土の観音正寺なのでこの寺とは関係ない。


観音寺は横山城の南東。

横山城跡01
観音寺の入り口。門があるけど使われてなさそう、ただの飾り?写真に写っていないすぐ右にクルマも入れる道がある。

横山城跡02
1枚目の写真の撮影場所から左(西)に進むと「石田三成水汲みの井戸」と書かれた看板がある。

横山城跡03
井戸ちっさ。そしてあんまり水が美味しそうじゃない。というか、沸かしてお茶にして飲んでもお腹壊しそう。

横山城跡04
観音寺の案内図。図では本堂からすぐ傍に横山城跡があることになっていて油断させられるが大嘘なので注意。

横山城跡05
観音寺の本堂に続く道。左には玉泉院もある。

横山城跡06
観音寺の本堂に続く石段。この撮影場所の左にトイレがある。山の上には何もないので横山城跡に行くなら寄っておくべき。

横山城跡07
本堂。写真がヘタクソで解らないかもだけど大きくて立派。鐘楼も。

横山城跡08
本堂見て惚れぼれするわぁと思いきや、渡り廊下の屋根にボロボロのめくれたシート。雨漏りするのかしらん。

横山城跡09
うん、ビローンが残念。

横山城跡10
本堂を右に進むと横山城跡への入り口がある。

横山城跡11
ハイキングコースって書いてあって石段あるから整備されてるのかと思ったら、石段はこれで最後。

横山城跡12
完全に山道、というか獣道に近い。

横山城跡13
片側が崖に近いところも。足元悪い時は気をつけないとアレーッてなりそう。

横山城跡14
上り前半は結構急な坂。途中の峰みたいなところは傾斜が緩やかに、後半再び急な上り坂。そろそろ到着かなと思ってからが結構きつくて体に堪える。

横山城跡15
ずっと周りが木なので下界を眺められない。一番見通しが良い場所でこれ。

横山城跡16
城跡に到着。鐘があって鳴らして良いらしい。ただし、早突きはダメとのこと。子供なら喜びそうだけど子供はここには来ないよねきっと。

横山城跡17
案内板によると到着した場所が横山城のすべてではなくてその端っこ(南城)だそうな。もう足がガックガクなので北城まで巡るのは無理です。それと眺望が素晴らしいとか書いてあるけど周り全部木だらけで何も見えませんから・・

横山城跡18
きっとここに櫓が建っていたんだろうなぁくらいの空間がある。

横山城跡19
この山頂(本当の山頂は北城の場所らしいが)で一番外が見えるところがここ。

横山城跡20
城跡地72坪と書いてある。そうそう、ちょうどどれくらいの広さかなぁと思ってたとこなのよ。

横山城跡21
下山中。山道に苔が生してる。人通りがいかに少ないかが伺い知れます。登りで気力がゼロになってるのでズリっと滑る度に「危ないっ」って思うどころかこのまま一気に位置エネルギー開放したい(転がり落ちて下山したい)と思うほど。体もヘロヘロ。

横山城跡22
標識が朽ちて倒れてる。整備して10年でこんなですか・・

横山城跡23
生きて帰ってこれました。光の当り具合が良くなってフィルタ無しのRX100でもまともに撮れるようになった本堂。

横山城跡24
観音寺を出たところにバスの停留所。「予約制停留所」ってナニ?
実はバスじゃなくて利用登録+予約が必要な乗り合いタクシーらしい。大人300円。

300メートルの低い山だから大掛かりな登山セットは要らないけど、滑るので登山用の靴と杖とついでに飲み物だけは用意した方が良いかも。道は曲がりくねってはいるけど頂上直前まで一本道なので迷うことはなさそう。
人っ子一人いなくて誰にも会わないので「城跡まであとどのくらいですか?」「まだまだあるよ」「この先がキツイよ」みたいな情報交換が全くできない。登りはゴールの予想がつかないのでひたすら不安になる。
尋常じゃなく体力が無いこともあって登りは途中で2回休憩、城跡で休憩、下り途中で1回休憩で計2時間。健脚なら1時間で登って降りてこれるかな?

おまけ

関ヶ原
観音寺前から伊吹山を見る。ここ三成の故郷から関ヶ原は目と鼻の先。謂わば地元。そこで負けたってかなりの恥辱だったろうなと思う。