息長陵

息長陵(おきながりょう)というのは古墳。第30代敏達天皇(びだつてんのう)の先の皇后である息長広姫(おきながひろひめ)の墓。
先の皇后ってのがいるってことは後の皇后もいるわけで、それが額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。額田部皇女って誰よっていうと最初の女性天皇になった第33代推古天皇のこと。第29代欽明天皇の子は4人が天皇になっていて、第31代は聖徳太子の父親である用明天皇。あと、第32代崇峻天皇。
敏達天皇と推古天皇は父親が同じで皇后ってどういうことっていうと異母兄妹。

で、敏達天皇と息長広姫の子供は誰も天皇にならなかったのだけれど、孫が第34代舒明天皇(じょめいてんのう)。舒明天皇の和風諡号が息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。
もう一人の子(舒明天皇の異母兄)の子供が2人天皇になっていて第35代皇極天皇(こうぎょくてんのう)=第37代斉明天皇(さいめいてんのう)と第36代孝徳天皇(こうとくてんのう)。どういう繋がりかというと皇極天皇は舒明天皇の皇后。その皇極天皇の治世に我が物顔だったのが蘇我蝦夷、蘇我入鹿。

ちなみに息長氏でおそらく一番有名なのは息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)。そんな名前聞いたことないかもだけど神功皇后(じんぐうこうごう)のこと。
神功皇后は第十四代仲哀天皇の皇后で子供は応仁天皇。三韓征伐をしたので有名。仲哀天皇の父親は倭建命(やまとたけるのみこと)。だから神話世代の人。
神功皇后の父親は第九代開化天皇の玄孫にあたる息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)、倭建命の妻で名前の残っていない方の子供が息長田別王(おきながたわけのみこ)、その田別王の曾孫にあたる息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ)は応神天皇の后の一人。この神話世代は複数の系譜を無理矢理繋いだようで滅茶苦茶だけど、息長氏が天皇家と何らかの関わりを持つ古代日本の大豪族だったのは間違いなさそう。

前の記事のラーメン屋の横の道から入って突き当りを右折で道のりで600m程度の位置にあります。道はクルマ一台通ることができる程度の幅。

息長陵1
写真の左半分に写ってる道を進んでくると見えてきました息長陵。

息長陵2
思ってた以上にこじんまりとした感じだけど綺麗に整備されている。

息長陵3
さすが宮内庁。ルールも単純明快。

息長陵4
あまり変わらないけど斜めから見てみた。

息長陵5
横から見てみた。生い茂りすぎて何がなんだかわからない。墳墓の部分が見えない。

息長陵6
今は何だかんだいって周りに建物があるけど昔はきっと何も無かったろうから息長陵からも伊吹山が見えていた筈。写真は息長陵から数十メートルほど北から東を向いて撮ったもの。

姉川古戦場・光成供養塔・観音寺/横山城跡・息長陵と巡って村人Aとすら出会わない寂しさ。知らない人と喋りたいとは思わないけど人の気配すらないのはちょっとね。ラーメン屋のおばちゃんと客のおっちゃんの顔しか見てないや。



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