讃岐うどん 谷や

谷や

東京メトロ半蔵門線の水天宮駅、東京メトロ日比谷線・都営地下鉄浅草線の人形町駅の近くにある手打ちのさぬきうどん店。
店に入るとすぐのところで店の人がうどんを打っているのが見える(見せている)。打っているのを見せてくれるのは待ち時間の楽しみになるので良い。
カウンター席もテーブル席も意外と沢山。店の正面が小さい割に中は少し大きなお店です。
今回、注文してから出てくるまでが早かった。早いのは嬉しいが茹で置きなのかと心配になってしまう。
注文を受けてから茹で始めると時間がかかって回転が悪くなるので入店状況を見ながら先手で茹でているのだと信じたい。

麺は標準的な?うどんより僅かに太め。つるつる系の表面。コシは強め。硬いになるぎりぎり手前くらい。
谷やのウェブによると店主は高松市の讃岐うどん「もり家」で修行した自称「うどん馬鹿」。さすがです、麺は美味しいです。 「かけ」に肉をトッピングした擬似肉うどん。肉は普通。いりこでダシをとっているという無添加の出汁は予想に反してそこまでではないかもしれません。肉を入れたからでしょうか。 薬味はおろし生姜とあさつきかな。これは「ざる」でも同じでした。まぁ流石にまともな讃岐うどん店は万能ねぎは出しませんよね。
ということで、今回は「かけ+肉」800円と「ざる」600円、計1,400円也。
そして・・なんということでしょう、何故かうどんの写真を撮ってくるのを忘れていたではありませんか。

水天宮駅と人形町駅は人形町通りに縦に並んで一番近い出口が150mしか離れていないのだが、地下でそのまま乗り換えできる駅ではない。都営地下鉄浅草線もあるのでぱっと地図を見ると線路がどのように通っているのか追い難い。 この地図では半蔵門線の線路(の一部)を紫、日比谷線の線路(の一部)を灰色に塗っている。
緑の線は地下鉄出口から谷や迄の徒歩ルート。特に水天宮駅5番出口から出ると少し離れているが道路を渡った斜め向かいに店が見える。中央人形町二郵便局の隣。

香川県だとうどん2杯って普通なので良いのですが、東京だと2杯目の注文が何か恥ずかしいのは何故でしょう。

亀戸天神社

墨田区の亀戸天神社に参拝してきました。
この神社は職場の近くだったということもあり、秋葉原に引っ越す迄は何度か初詣に来ていた神社です。

亀戸天神は江戸時代の1646年に太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐が天神信仰を広める為に関東にやって来て、本所亀戸村に元々あった祠に天神像を祀ったのか始まり。徳川家綱が社地を寄進した。

祭神は天満大神(菅原道真)と天菩日命(アメノホヒ)。

菅原道真は9世紀から10世紀初めにかけての政治家。宇多天皇、醍醐天皇の治世に大出世して右大臣に。しかし、左大臣の藤原時平に嵌められ昌泰の変で大宰府に左遷(子供も流刑)しそのまま太宰府で死去。
6年後、藤原時平が39歳で早逝。平安京で天変地異が多発。疫病、日照り、東宮だった保明親王やその娘や孫である慶頼王の死去、清涼殿に雷が落ちて昌泰の変に関わった藤原清貫の死亡。更に醍醐天皇も体調を崩してその3ヶ月後に崩御。
余程恐れられたのかこれで菅原道真の怨霊が雷の神である天神になったと考えられた。
怨霊を鎮めるために贈った神号が「天満大自在天神」(そらみつだいじざいてんじん)。天満宮などの「天満」の由来。

藤原時平の死亡は時期的に祟りだと考えられても不思議はないと思うが、清涼殿落雷事件や醍醐天皇崩御は道真の死後27年後。そこまで引きずらなくてもと思うが実際のところもっとずっと長く恐れられた。
平将門が処刑されたのは清涼殿落雷事件の10年後。将門の怨霊とも被るよねと思うが将門が恐れられたのはなぜか近代になってから。
ちなみに、日本3大怨霊はこの菅原道真(845-903)と平将門(?-940)、崇徳天皇(1119-1164)。

建速須佐之男命(スサノヲ)が天照大神(アマテラス)が治める高天原へ昇った時にアマテラスはスサノヲが高天原を奪いに来たと思い武装して出迎えた。
スサノヲは邪心が無いことを証明するために誓約(うけひ)を提案。アマテラスはスサノヲの所有物である「十拳(とつか)の剣」を3つに折りそこから3柱の女神を生んだ。
スサノヲはアマテラスの所有物である「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を噛み砕き5柱の男神を生んだ。
その理屈は現在では全く理解できないことだがこれでスサノヲに邪心が無いことが証明される。
アメノホヒはその5柱の男神の1柱。菅原家の祖神とされる。
スサノヲはせっかく邪心が無いことが証明されたのに何故か乱暴狼藉の数々。怒ったアマテラスが天岩戸に隠れる話につながる。

今回は富岡八幡宮を参拝した後、亀戸天神へ。
「富岡一丁目」バス停から都バス 都07 門前仲町⇔錦糸町駅前(境川経由)に乗って「亀戸一丁目」で下車、横十間川沿いを北上して蔵前橋通りを右折してすぐ。
門前仲町を通り錦糸町に行くバスは複数のルートがあり、境川経由は遠回りルートなので時間がかかるがほんの少しだけ歩く距離が短い。殆ど誰も富岡八幡宮⇔亀戸天神は移動しないでしょうが。
普通に行く場合、鉄道だと東京メトロ半蔵門線・JR総武線の錦糸町駅か亀戸駅で下車、どちらの駅からも中途半端に遠いが亀戸駅の方が少しだけ近い。

赤線は門前仲町⇔錦糸町駅前(境川経由)のバス路線。ピンク線は門前仲町を通る他の錦糸町行きのバス路線。緑線は亀戸駅、錦糸町駅、亀戸一丁目バス停からの徒歩ルート。

亀戸天神社 1
正面の大鳥居。その奥に太鼓橋と本殿の屋根が見える。

亀戸天神社 2
太鼓橋(男橋)と心字池が見える。池に3つの橋をかけた参道は太宰府天満宮に倣った造りとなっている。ただし、太宰府の縮小版。

亀戸天神社 3
太鼓橋(男橋)の上から撮影。藤棚や弁天社周囲の木々で見えにくいが手前に平橋、奥に太鼓橋(女橋)ある。

亀戸天神社 4
本殿前。人が少ないが外人は居る(写ってはいない)。神社の外人率高い。

亀戸天神社 5
もう終わりの時期だと思いますがまだ菊まつりだった。左の花のタワーは中央に写っているスカイツリーを模した作品。もう少し左に向けて花のタワーを中心に寄せたかったのだがこの写真の左辺りでクソガキ‥お子様がずっとはっちゃけてらしたので残念。

亀戸天神社 6
大鳥居の近くに筆塚がある。使った筆、書いた書などを供えて書道の上達を祈る筆塚祭は毎年7月25日らしい。いい年して自分でも読めないミミズ字なので関係無いですが。

亀戸天神社 御朱印
御朱印。菊まつりなのでその印も押してあった。

亀戸天神の梅まつりは2月、藤まつりは4月。菊まつりは一応10月。

富岡八幡宮

江東区の富岡八幡宮に参拝してきました。

富岡八幡宮は1627年徳川家光の代、当時はまだ東京湾に浮かぶ島(永代島)に社殿が建てられた。
その後、周りが埋め立てられて後に深川と呼ばれる地域になりました。現在の「深川」は小名木川より南の方の小さな町だが、昔は深川というエリアは大きかった。
ちなみに「深川」は小名木川(江東区を東西に直線に横切る運河)の北側の開拓を行った大阪出身の深川八郎右衛門の苗字が村名に付けられたことによる。

主祭神は清和源氏の守護神である八幡神(応神天皇)。

相殿神
  • 神功皇后
  • 仁徳天皇
  • 天照皇大神
  • 常磐社神
  • 武内宿祢命
  • 日本武尊
  • 天児屋根命
  • 竈大神

富岡八幡宮の深川八幡祭りは江戸三大祭の一つ。
例祭は8月15日の例祭祭典を挟んで前後数日。八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭り呼ばれ3年に1度で今年が本祭り。
Youtubeで「富岡八幡宮例大祭」を検索すると凄い賑いであることがわかります。

1684年から勧進相撲が開催されていたのがここの境内。それが1781〜1833年にかけて両国の本所回向院(ほんじょえこういん)の境内に移り、1909年からは同じく本所回向院内に建てられた旧両国国技館での開催、紆余曲折を経て旧両国貨物駅跡地に建てられた現在の国技館での開催(1985年〜)の大相撲につながる。

最寄り駅は東京メトロ東西線の門前仲町駅。八幡宮の別当寺である永代寺の門前町だったので江戸時代は「深川永代寺門前仲町」だった場所。
江戸っ子にとっては常識なのかもしれませんが、私のような田舎者にとっては何の門前なのかモヤモヤした状態で東西線を利用していた訳ですが永代寺と解ってちょっとスッキリ。
っていうか、何で中途半端な駅名にしたのでしょうね。
最近は更に略して門仲とか呼ばれてるのだが、門前仲町自体がメジャーな地名ではないのでそれを略されるともう地方出身者には解らないです。

富岡八幡宮 1
行ってみたら酉の市だった。また人混みかと思ったらそうでもなかった。

富岡八幡宮 2
鳥居を入ってすぐ横にある伊能忠敬の像。50歳で江戸に出てきてから19年間(第八次測量完了迄)当時深川黒江町と呼ばれた場所、現在の門前仲町駅の北西側葛西橋通り沿い辺りに住んでいた。測量に出発する際に必ず富岡八幡宮を参拝していたそうな。
全国を測量してまわったのが56〜72歳。足腰と根気の強さには敬服します。

富岡八幡宮 3
熊手。景気よく販売、ちょっと気恥ずかしい。

富岡八幡宮 4
本殿。七五三詣の時期でもあるんだけど人が少ないのは何でだろう。

富岡八幡宮 5
末社の一つ大鳥神社への案内板がやたらに目立つ。酉の市だから?

富岡八幡宮 御朱印
御朱印。かっこいい!