北条仲時の墓 (第11回 鎌刃城まつり)

今回、「鎌刃城まつり」に参加したのは北条仲時の墓が行き先の一つにあったから。実は蓮華寺を訪れたときに北条仲時の墓を見たくて六波羅山の麓(直孝神社周辺)をウロウロしたんだけど獣よけの柵がグルっと巡らされていて山道も見つけられず諦めたのでこのイベントはまさに渡りに船。

オレンジ色のマーカーは北野神社鳥居前。
青色のクエスチョンマークのマーカーは北条仲時の墓。
オレンジ色のルートは間違いない筈のルート。
黄色のルートは推定で作った怪しいルート。
今回スマホのバッテリー切れでGPSロガーを使用できなかったので山道部分は何処をどう通っているか不明。肝心の北条仲時の墓の位置も不明、スンマセン。

北条仲時の墓 1
鎌刃城まつりの集合場所である西番場公民館の北隣りが北野神社。この鳥居前からスタート。

北条仲時の墓 2
神社の橋を渡らずに写真の中央のポールから右に折れて川沿いを進む。

北条仲時の墓 3
獣避けの電気柵が巡らせてあるので写真の位置(神社前で右折してから150m)の扉から入る。獣避けの為の柵と扉なので通ったら必ず閉める。
写真では人が山から出て来てるけどこれは復路で撮ったもの。

北条仲時の墓 4
鉄塔まではわかりやすいはっきりした山道。分岐は途中に変電所への道の1箇所。左折せずに直進でOK.

北条仲時の墓 5
送電線の鉄塔の左側(西側)を回り込む。

北条仲時の墓 6
鉄塔の柵から撮影。写真では光の反射で屋根が白く写ってるお寺(写真中央から左寄り)が蓮華寺。写真右上の高い山が蓮華寺の山号である八葉山とのこと。

北条仲時の墓 7
鉄塔の西側からは草の生い茂った獣道のような道になる。道がわかりにくいので張ってあるビニール紐が左に見える位置を進めば良いっぽい。

北条仲時の墓 8
暫く進んで頂上を過ぎた辺り?で東側の斜面を少し下ったところに五輪塔がある。でも、初訪問で独力で見つけられるかわからない感じ。

北条仲時の墓 9
意外と大きな五輪塔。

北条仲時の墓 10
説明では30年くらい前までは五輪塔はバラバラになって石が地面に転がってたそう。

北条仲時の墓は先の番場城に比べると少しだけ体力要るかも。落ち葉や石で足元がとても滑りやすいので滑り止めのしっかりした靴(と杖)を用意するべき。

蓮華寺に自刃した一族430余人の墓があるのにリーダーの北条仲時の墓だけが蓮華寺の向かいの山中にあるのは謎。理由の書かれた文献などは無いっぽい。
伝承?では井伊の殿様(誰?)が馬に乗って蓮華寺の北条仲時一族の墓の前を通ったら北条仲時が夢に出てきてめっちゃ怒られたので馬で見下ろせないような山の上に墓を移したというのがあるらしい(ネットで検索した)けどちょっと無理のありすぎる話かな。

北条仲時の墓 11
で、六波羅山という名前だけど地元の人の多くは知らないらしい。直孝神社のある山っていえば通じるとか。
じゃあ何で六波羅山って名前なの?ってことだけど結局のところ中山道分間延絵図の番場宿の絵にそう書いてあるからということみたい。上の画像はその中山道分間延絵図の番場宿の絵の約1/3部分。左上の緑塗りの山の部分に縦書きで六波羅山って書いてあって、その右横に「北条越後守仲時塚」って書いてある。(上の画像は縮小しているので読めないかも)
つまり、中山道分間延絵図が作成された1800年頃にこの辺りに住んでいた人たちが「あの山は六波羅山で仲時の塚があるよ」っていう認識でいたらしいことを示しているだけ。結局それより前の460年ほどの経緯は解らない。

関連記事:

番場城 後編 (第11回 鎌刃城まつり)

番場城 14
主郭部。
曲輪(くるわ)が2段あるらしいが、写真を撮っている1段めが広くて一段降りた2段めは狭いみたい。特に1段めは山の遠景からは想像できないほど広い。(45m x 20m程度)

番場城 15
曲輪の北の端。虎口(こぐち)の跡とのことだがあまりはっきりした形が見えないので門柱がこの辺りとか説明されてもド素人にはよく解らなかった。

番場城 16
2段めの狭い方の曲輪を囲むように3段?の犬走り(いぬばしり)があるらしい。写真の中断を横に通っている道がその一つ。

番場城 17
曲輪に戻る。南を向いて広い方の段を撮影。光の具合でこちらから撮る方がより広く見える。写真の左右(方向は東西)曲輪の端が盛り上がっているのは土塁。

番場城 18
復路は途中で往路から外れ南西側に下る。旧今福寺側。写真中央には木の間から斜面の下の平地が写っている筈だったが暗いだけなのでよくわからないなぁ。

番場城 19
下の平地に到着。木が生えてるのが昔はここに寺や屋敷があった?結構広いので何軒も建てられるだろうけど・・

番場城 20
木漏れ日が真っ白に飛んでるので解りにくいが手前側を左右に水堀が通っている。中段の黒っぽいのは倒木。

番場城 21
一段高い平地。身分の高い人の屋敷があった?スンマセン、説明ちゃんと聞けなかった。

番場城 22
中央の人が集まっているあたりも水堀。

番場城 23
写っている人が向いている方向にも大きな堀。

番場城 24
一応、水もある。鎌倉・室町・戦国時代?くらいに作った堀が現代まで放置されて未だに水の通る溝として在るということは堆積物の量を想像するに結構大きな堀だったんだろうなというのは素人でも想像がつく。それが3本ほど。屋敷群の守りは堅めだったのかも。

番場城 25
高速道路の下を潜って旧中山道(東山道)に戻り番場城を見上げる。

山が険しくなくて距離も短いので足腰の弱い「がとらぼ」の中の人でも珍しく汗一つかかない息も切れない「楽勝」。
遺構の規模が小さくて解りにくいので玄人向け?

関連記事:
Up